Hola~ オラー
こんにちは ハポネコです
今回は海外で評価の高い日本人
葛飾北斎はどんな人か調査!
年々、評価が高まっています。
天才と評される娘のお栄の本名や生涯と
波の作品の特徴や場所を調べました。
わかりやすくまとめましたので
ぜひ御覧ください(・∀・)
葛飾北斎はどんな人?本名や評価と生涯の引っ越しが多い?
葛飾北斎(1760-1849年)は江戸時代の代表的な絵師で
『富嶽三十六景』や『北斎漫画』の浮世絵は
日本国内だけでなく海外でとても有名です。
巨匠である画家のゴーギャンやゴッホは
北斎の作品を模写していて
西洋の美術史にも多大な影響を与えています。
没後150年以上たった今もなお評価は高く
1998年には米国の『LIFE』誌が企画した
「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」に
日本人で唯一選出されました。
1000年に一人の逸材!
海外で一番有名な日本人の画家なのです。
葛飾北斎といえば日本人ならば誰でも
一度はこの作品を目にしているではないでしょうか。
『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』
僕自身はその昔、ブランドブームの時に
KENZOのロゴにこの絵が使用されていたのを思い出します
そんな世界的に有名な葛飾北斎なんですが
プライベートや私生活は謎が多く
「奇行の人」として有名です。
- 寿命が90歳
- 生涯の作品数は3万点
- 弟子や孫弟子が200人以上
- 雅号は約30回も変更
- 結婚は2回
中でも一番、変わってるのが
93回も転居、家の引っ越しを繰り返している点です。
葛飾北斎は制作に集中するあまり「ゴミ屋敷」化し
汚くなると掃除することなく
家の引っ越しを繰り返したそうです。
晩年には長女の子である北斎の孫と
3女のお栄とともに暮らした葛飾北斎。
孫はバクチにハマり借金取りに追われ
75歳の時には三浦半島に隠居します。
また3女のお栄も強烈なキャラでとにかく掃除が大嫌い!
洗い物などの家事も出来なかったようです。
3人で暮らしながらも北斎が生涯、引っ越しを繰り返したのは
様々な要因があったんですね。
昔の映画なんですが北斎を知るにはこの映画がオススメ
北斎漫画
3人の暮らしぶりも詳細に知ることができます
葛飾北斎の娘はどんな人?お栄も天才だった?
葛飾北斎の娘である3女のお栄
画号は葛飾応為(かつしか おうい)
今のペンネームみたいなものです。
3代目堤等琳の門人・絵描きの南沢等明に嫁ぎますが
北斎譲りの画才と性格で夫の絵を拙い所を指摘して
笑ったことが原因で離婚(^_^;)
男のプライドがボロボロでしょうに~
一番やってはいけないパターンなんですが
男勝りで勝ち気な性格なんでしょうね
お栄も浮世絵師として北斎と共に暮らしながら
製作助手を努めていたとされています。
お栄さんなんですが見た目はブスで
顎が出ていたので北斎は娘を「アゴ」と呼んでいたそう。
現代では「シャクれ」なんでしょうか(^_^;)
不美人とされるお栄さんなんですが
特に美人画に優れていて
北斎の肉筆美人画のパートはお栄の仕事とされています。
葛飾応為として現存する作品は10点前後と極めて少ないです。
西洋画法で誇張した光や影の捉え方や
細密画に精通しているのが作品の特徴です。
作品数があまりにも少なすぎることから
父である北斎との共作が相当数あると考えられています。
特に80歳以降の北斎の肉筆画は老人にしては
彩色がとても若々しく、精密すぎる作品が多く
このような作品は娘のお栄(応為)の代筆ではないか
との意見も多いのです。
北斎が晩年に寝たきり状態になっても
精力的に作品が残っているのもちょっと納得です。
北斎の画業が海外で評価を高めると同時に
娘のお栄の仕事も天才として認められつつあります。
アニメ映画でお栄が主人公の作品があります
オススメですよー
葛飾北斎の波の作品の特徴とは?場所はどこ?
富士山を描いた葛飾北斎の冨嶽三十六景の中でも
人気の高い「神奈川沖浪裏」
ダイナミックな波の表現と構図が秀逸です。
この波の表現なんですが元は彫刻作品とされています
北斎は堀之内(東京杉並区)の日蓮宗妙法寺にある
通称「波の伊八」の彫刻に触れていて、伊八に関心を抱いていました。
現在は千葉県で観光出来ます
波の伊八を巡るコースや場所
ちなみに伊八の取り組んだ波の有名な彫は千葉県東頭山行元寺にあり
その原風景は千葉県房総の大東岬から見た波であると言われ
北斎も確認のためか南総の旅に出ています。
このことから一説には「神奈川沖浪裏」の波の部分は
外房の波だと唱える人もいます。
ちなみに最初の頃の波の表現はこんな感じ…
なんだか丸みがあって
迫力はイマイチですよね
「神奈川沖浪裏」の富士山が見える位置は
横浜市神奈川は現在の本牧あたり
現在でいうと横浜ベイブリッジ~大黒ふ頭沖が相当します。
さらに北斎は1806年、木更津方面へ旅に出たことが知られていて
作品に船上構図の多い北斎のことから「神奈川沖浪裏」は
本牧大黒ふ頭~木更津の航路上で描いたのではないかと推察されています。
GoogleEarthを使った考察によると
富士山と大黒ふ頭を結ぶ線上で海ホタル付近から
アクアライン料金所のある木更津沖の船上で描いたと
考えている方もいらっしゃいます。
場所は木更津沖で間違いないようです。
また現代のテクノロジーで高速シャッターで捉えた
波の形と北斎の表現が一致しています。
恐るべき自然への探究心と観察眼があったのですね。
北斎は数十年かけて波の表現を模索し続けた結果として
「神奈川沖浪裏」という後世に語り継がれる傑作を残しました。
まとめ
葛飾北斎はどんな人で娘のお栄も天才なのか調査!
応為の本名や波の作品の特徴や生涯について
調べてみました。
引っ越しを繰り返すほど画業に没頭したり
北斎の飽くなき探究心は素晴らしいと感じました。
晩年はお栄の共作ではないかという点も納得です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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