ハポネコのプロフィール

プロフィールを見ていただき
ありがとうございます。
ハポネコは現在使っているアーティスト名

スペイン語で日本人をハポネス
現在住んでるチアパス州の人を
チャパネコといいまして
それに好きな猫をかけ合わせた造語です。

本名は倉岡真吾と申します。
1974年10月14日生まれB型の天秤座
出身は熊本で父、母、妹の
4人家族の長男として生まれました。

ハポネコが生まれた時代は第二次ベビーブーム
当時は登山が流行っていて、
生まれて10ヶ月くらいのハポネコを
父親が背負って山に登ってたそう。

 

転勤が多く熊本県内の色々な場所へ
その中でもハポネコの記憶に
強く残る原風景は阿蘇山。

幼稚園の時に大きな噴火があって火山灰で一瞬に街が灰色になったり、阿蘇神社の火振り神事で火がついた藁をグルグル回したり、自然の神様が身近にいるような感覚。

 

根子岳の猫の伝説をご存知でしょうか?
化け猫が出てくる熊本の民話なんですけど
子供の頃は猫がホントに怖かった(笑)

 

幼稚園の授業で「お父さんに灰皿を作ろう!」という課題があって、気合を入れて1mの長い灰皿を紙粘土で作ったら「そんなにタバコ吸わんばい」と父に怒られました(笑)。
粘土遊びが大好きだったのです。

 

小学生になるとジャンプではドラゴンボールの連載が始まり、アニメではキン肉マンとか流行っていて、よく超人を模写してましたね。

 

 

小学生から高校まで剣道を12年続け
一度ハマると納得がいくまで
やめれない性格です。

ワンピースではゾロVS Mr.1の戦いが好き
バガボンドの緊張感も面白いですよね〜
宮本武蔵とか剣豪の世界観に
興味があったのです。

 

小学生の時は写生大会の時間が一番好きで

野外に出て、ひとりで心地よい場所を
見つけて絵を描く時間が、ハポネコにとっては
最高に喜ばしいものでした。
年に1回だけなんですけど(^_^;)

 

中学では学校生活が息苦しく感じていて
みんな同じ黒い学生服ずっと同じ方向を向いて長時間、椅子に座っている状態がなんだか変だなぁ〜と違和感を感じていました。

当時は上手く言葉にできなかったけど

 

マンガを読むことで気持ちを発散したり
あとは部活で体を動かしながら
気分を紛らわせてたかな。

 

中学の剣道部は全国2位になるほどの強豪で
練習や先輩の理不尽な“しつけ”(体罰)が
ちょ~厳しかった〜。

体育会系の縦社会に嫌気がさしちゃいました。

じゃあもうこれからは
自分の好きなことだけやっていこうと考えて
高校から美術科に進学

 

絵のテストで入学できたのですが
周りにはとても上手い人が多くて
クラスでは落ちこぼれてしまいました(^_^;)

特別な才能はなくってマンガが大好きな
どこにでもいる男の子だったのです。

 

18歳から親元を離れ美術大学に進学
一人暮らしが始まりました。

 

この時に出会った教授が作品を作りながら
日本とイタリアを半年ずつ往復する生活をしていて「こんな自由な生活スタイルがあるのか〜」と衝撃を受けて海外進出を志します。

 

アーティストとして拠点を海外に!
春と秋だけ日本で暮らす生活がしたい(笑)

この出会いがきっかけで
主体的に動き始めました。
美術に魅了されるハポネコが、
アーティストとしての冒険に飛び込んだ瞬間です。

 

大学卒業後はフリーで活動
岡山の倉敷に住んでたんですが
地方からどうやって海外に出れるか?
アーティストとして作品だけで生活できるのか? 試行錯誤の毎日。
手探り状態で開拓していくのが楽しかった。

  • アートマネージメント
  • 建築家の講習
  • 映画の撮影
  • アーティストのアシスタント
  • 看板製作
  • ショーウィンドーの展示

などなど、なるべくアートに関係のある
仕事にチャレンンジ

アートインレジデンスでいろんな地域で滞在制作やパフォーマンスを行ったり
岡山では商店街を貸し切って
アーティストを50人集めて展示の企画したり

 

25歳の時に初めての海外旅行でオランダへ
ヨーロッパ8カ国を巡ってみて
日本との文化の違いに驚きました。

この時期には国内や海外を旅行しながら
個展とグループ展を年に5回以上
展覧会はタイでも企画して開催

でもこのまま働きながらでは
時間がもったいない…と感じるようになって

『自由に製作して集中できる
環境と時間が欲しい

どうせなら海外に
制作場所があるといいなぁ…』

こんな思いが湧き上がってきたのです。

 

そんなある日、知り合いのギャラリーから連絡があって、メキシコで一ヶ月の滞在制作を紹介してもらいました。

滞在中に出会ったとても素敵な物件に一目惚れ..
翌年、ベラクルス州のハラパに引っ越しました。
30歳で念願だった海外に制作場所が手に入ったよー

住もうと決めたきっかけは首都にある
国立人類学博物館の発掘品に衝撃を受けたから
なんだか宇宙人が作ったような造形で

どこからインスピレーションを得たのか謎すぎて
住みながら調査したいなぁと思ったのです。

最初は博物館に通いながら
オルメカヘッドとか昔の発掘品を
模写したりしてましたね~

お気楽なハポネコはブログやホームページを作って日本で作品を売って、物価の安いメキシコで生活しようとチャレンジしたのですが…

 

大失敗···

 

1年であっというまに貯金も底をつきまして(;_;)
素敵なアトリエもお引越しすることに

経済的苦境に直面したハポネコは食費を節約するために極端な方法を取らざるを得ませんでした。スーパーで廃棄予定のハムの端切れを格安で手に入れ、薄いカレーを2ヶ月間ひたすら食べ続けるなど、生活水準を大きく下げなければならない状況に直面したのです。

 

いや~無理ゲーでした~(´・ω・`)
考えが甘すぎたのです。

 

そしてハポネコは31歳
メキシコで丸裸になりましたとさ…


冬は寒かったよ(´・ω・`)

日本に戻るしかないかなぁ…と途方に暮れていたら
たまたまメキシコの州立大学で
美術教師の仕事が見つかりました。

 

この時はスペイン語も出来なくて
教員免許もありません。
人に美術を教える仕事が始めて
試行錯誤の日々が続きます。

 

言葉があまりできないことで
上司から陰湿なパワハラを受け、
ストレスからか全身に原因不明の発疹が….
失敗が続きすぎて「メキシコに来てまで何やってんだろ」と夜も眠れなくなり
気持ちが落ち込んでしまいましたね。

そんな時期、気分転換にメキシコ国内の旅行へ。
シャーマンが住んでいる村を訪ね
とある呪術の儀式に参加します。

その儀式がとても不思議で
まるで幽体離脱するような
身体から意識が離れて人と動物や植物が区別なく自分のエネルギーが宇宙と一体になるような体験を得ました。

この不思議な体験がきっかけで山登りしてた子供の頃の記憶や阿蘇山の風景、猫の伝説が蘇ってきたんですよね。それからメキシコでも山や森に出かけるようになり、落ちている枝を拾って猫などの動物の木彫りや点描画を始めます。自然の風景や素材からインスピレーションを得て、作品を制作することが自分に合ってるんだなと気がつけたのです。

もう一方でインターネットを使ったマーケティングについて勉強を始めました。
31歳で丸裸になった経験から作品の制作を続けていくにはお金も重要だなと考え方をアップデート。

 

一念発起して
スペイン語やブログ+アートも学びなおします。
ここから一気にV字回復へ!

 

リアルでは言葉の壁を乗り越え
1300人のメキシコの学生に関わり

教え子たちは各方面で活躍中

 

メキシコでは永住ビザも取得。
今まで学んだアートや海外生活の経験を生かして
ブログで情報発信を開始!

 

日本とメキシコの文化を橋渡ししながら
さらに自立するのが目標です。

 

新しい生活スタイルを確立したのは、自由に制作に集中できる環境と時間を求めたからです。この生活スタイルが重要なのは、アート制作に専念できる環境を手に入れることで、自己表現の機会が増え、創造力を存分に発揮できること。また、海外での制作場所がハポネコにとっては新たな挑戦であり、異文化の中で自らを試し、成長する機会となると信じたからです。

これから具体的にはメキシコや日本を行き来しながら風景画や木彫りを制作してデュアルライフを楽しみたい!
まだまだチャレンジ中(・∀・)

 

メキシコでは展覧会を企画したり
自分の作品が野外での広告塔にも

 

展覧会やネットでも
作品が売れるようになりました。

ブログで稼いで旅行や
海外移住してる人はいるのですが
海外から自分の表現について
発信してる人はまだ少ないし

 

日本の美大を卒業しても
自分の作品を制作するのに手一杯で
日本ではきちんとしたブランディングや
セルフマネージメントの方法が
教えられてないように感じます。

 

もっといろいろ橋渡しできるんじゃないかなと
ブログで情報発信を始めました。

アーティストやクリエーター、表現者が
日本でも海外でも今いる場所で
独立して自分で生活しながら輝ける世界に!

情報発信を上手に活用すれば
自分の好きなことを続けながら
生活ができますよ。

日本だけでなく海外でも
充実感や満足感を得て
地球を楽しんで生きていける世の中に。

地球はもっと豊かで全てを与えてくれます

 

ぜひ情報を共有していきましょう

ハポネコのお問い合わせ

 

表現に関するお悩みや海外移住やビザ
ブログ作成に関すること
なんでもお気軽にご連絡くださいませ。
よろしくお願いいたします。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。